第六十五番 
洞門寺(曹洞宗)

洞門寺

御本尊 阿弥陀如来 (被爆仏)
御真言 おん あみりた ていせい からうん
御詠歌 見えずとも 心の御眼 開くなら 見えざるものは 何一つ無し

縁起

 元和五年(一六一九年)紀伊・伊勢国(和歌山県)紀州藩藩主 浅野長晟が、広島藩の藩主に確定する。当時、浅野家の家臣であった小野覚雲(当寺開基)は、長晟から、広島藩入封準備の任を命ぜられる。覚雲は、数名の家来を引連れ広島入りし、この地に有った茶屋(毛利輝元が広島城築城の際、外来客などを供応した建物)を使い、入封の準備を行う。同年、長晟が入封。四十二万六千石を領し、広島藩の藩主となる。覚雲は、これらの功績を賞され、その茶屋も合せ千五百石を拝領し、この地(現在の当寺建立地)に小野家の屋敷を建立。元和七年(一六二一年)覚雲は、小野家の屋敷の一部を割いて当寺を建立。玄庵嫩鶴禅師(海雲寺三世)を開山として迎え、覚雲を開基とし、当寺を小野家の菩提寺として開創する。
 昭和二十年(一九四五年)第二次世界大戦中の八月六日、広島に原子爆弾が投下され、衝撃波・爆風により本堂などが一瞬にして倒壊。本尊もガレキの下敷きとなったが、火災前に当時の住職により搬出され、焼失の難を逃れる。そして戦後、再び奉祀し、現在に至る。

【巡拝ガイド】
東西コースの巡路 16般舟寺65洞門寺64宝勝院
交通便
JR新白島駅より南へ、徒歩5分
アストラムライン新白島駅より南へ、徒歩3分
アストラムライン城北駅より北へ、徒歩3分
住所

〒 730-0005 広島市中区西白島町16-27 TEL 082-224-3883

近くの札所
16般舟寺63光明院64宝勝院