番外霊場
原爆供養塔
御詠歌 へいわなる みやこにひびく かねのねに かえりみいのる ヒロシマのひと
縁起
昭和二十年八月六日午前八時十五分、世界最初の原子爆弾投下による犠牲者数万柱の遺骨を納める。
この地帯一帯が爆心地であったため、期せずして、ここに痛ましい無数の遺骨が運ばれ、処理されたものである。昭和二十一年一月広島戦災供養会が創立され、同五月仮供養塔、同七月仮納骨堂、礼拝堂が市民の喜捨により建立される。三十年七月満十周年を期して、広島市が中心となり納骨堂を改築し、各処に散在していた遺骨を比処に納めた。
毎年八月六日には、全県市挙げて追悼の誠をこめた、供養慰霊祭が行なわれている。供養行事は、広島県宗教聯盟が奉仕するほか、各宗派別による待別供養も厳修されている。