第二十七番 高尾山
岩谷寺(高野山真言宗)
御本尊 聖観世音菩薩
御真言 おん あろりきゃ そわか
御詠歌 なにごとも 岩谷の山の いはば堂に いのる心は しるやみ仏
縁起
神武帝がこの山に登り東従軍を統べたまえる時、天皇の名、イワレ彦が転化してイワヤ山となった。寺の開創年代は不詳、伊勢の海に出現した観音本尊由来記によれば、近藤三郎左エ門、甲斐の国を浪人し、伊勢の海に出、魚を取ろうとして網を入れると重い石仏が網にかかった。エイ、この石仏のやつ面倒だ、とて海へ投げすて、一里ばかり外海に出て網をおろすと又石仏がかかった。不思議なりとて、安芸国温品村高尾山上に岩谷を建てて祭ったと云う。爾来岩谷観音と呼ばれるようになった。
徳川末期の神仏分離論のため、府中と温品村との間に、自分の村内ではない、との争いが起ったと云う。其の後社殿が山上に再建されるや、広島周辺の信者列を連らねたと云う。岩谷の観音さまとして遠近を問わず広く知られている。以前は十八丁の急峻なれども、境内地崩かいのため下山し、現在の地に堂宇を再建し、参詣者が楽に参詣出来るようになった。