第五十三番 海嶋山
興禅寺(臨済宗妙心寺派)
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おん あみりた ていせい からうん
御詠歌 興されし 正しき道は 忍びあい 禅りあふこそ み仏の道
縁起
永正年代(一五〇〇)の頃から禅宗寺院として広島県高田郡吉田の郡山城の麓にあった。大永三年(一五二三)毛利元就が郡山城に入ってから厚く尊崇されたが、その当時の開基開山は詳でない。
天正十九年(一五九一)毛利輝元が広島城に移り、翌文禄元年(一五九二)興禅寺を現在地平塚に移した。その後輝元が帰依された雲嶺禅師を名古屋市の海国寺より請じ開山とし臨済宗妙心寺派に属した。
慶長五年(一六〇一)輝元萩に移り、広島は福島を経て、浅野長晟が元和五年(一六一九)広島に封ぜられしより、雲嶺禅師に深く帰依され、それからは浅野家歴代藩主の信心並びに庇護をうけ宗風大いにあがり、末寺五ヶ寺を有し広島で屈指の名刹に数えられた。時はたち明治になり社会情勢の変転の影響をうけ往時をしのぶことはできず、加えて昭和二十年の戦火のため堂宇寺宝記録の一切を焼失した。昭和三十五年再建し、本尊阿弥陀如来は高田郡甲立町三上家より勘請したもので鎌倉時代の作といわれ宮島の光明院にあったものと伝えられている。原爆で吹き飛んだ首なし地蔵・鬼瓦を平和学習の一環として、生徒の皆さんにもお参りいただいています。
【巡拝ガイド】
中央コースの巡路 原爆供養塔→ 53興禅寺→広島駅北口交通便
広電 「銀山町」下車、徒歩10分、比治山下経由宇品方面行「比治山下」下車、徒歩10分広電バス・広島バス 紙屋町経由、各線とも「銀山町」下車、 徒歩10分
広電バス 広島駅→西飛行場方面行「平塚町」下車、徒歩5分
タクシー 広島駅より7分(800円位)