第五十五番 良雲山 千日寺
長性院(浄土宗)
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おん あみりた ていせい からうん
御詠歌 南無や南無 弥陀ひとすじに 称うれば うき世つらさぞやがて消えぬる
古より千日別時 法つたえ みちびき給え 弥陀の浄土へ
縁起
長性院は浄土宗鎮西派に属し、元和三年(一六一七)弘法利生の志篤き信濃国松本の僧、正誉玄斉和尚諸国巡錫の途上紫雲たなびく此地こそ正しく仏有縁の霊地なりと感得し給い、笈佛の弥陀をおろし鉦鈷を前に千日間の常行念仏を修し「栄山庵」を草創。其後紀伊国の僧、白誉の時山城国伏見の長性院(寺西将監利之の妻・十二才にして東照大権現に仕う)は銀三十貫目を寄進し堂塔を建立、ここに初めて「良雲山・栄山寺・長性院」と号す。この因縁により白誉を当山第三世中興開山となし、かの長性院を開基とする。のち正徳四年千日念佛の徳行を讃え寺号を「千日寺」と改める。中興白誉命終の時、本尊阿弥陀如来は病床に来迎しその尊容は長く居間に残り「御影の間」 と名付くも宝暦年間の大火で焼失す。又「白蓮池」と申す池があり、その昔山城国宇治に住する隠元禅師、もろこしの盧山の慧遠法師所持の未開蓮の如意と蓮種二粒を長性院の先祖に授けしを、長性院これを白誉に寄附、白誉この蓮種を泥中に下すに、数百年の星霜を経て再生難きも不思議なるかな見事に蓮花咲き故に白蓮池と名付とあり。又当山には身代地蔵尊・イボ地蔵尊の石佛あり、当山第二世善誉弘願の時より近郊の善男善女の霊験あらたかなる仏として香煙絶えることがなかったと伝える。昭和二十年原爆により本堂諸堂は壊滅するも同三十二年には本堂再建つづいて庫裡・鐘楼門が復興し専修念仏の道場として今日に至る。