第六十六番 萬松山
禅林寺(臨済禅宗妙心寺派)

禅林寺

御本尊 南無釈迦牟尼佛
御真言 なうまくさんまんだ ぼだなん ばく(南無釈迦牟尼佛)
御詠歌 禅定の あじはありけり 夏山の 林にあそぶ うぐいすの声

縁起
 当山は、山号を萬松山と称し、臨済禅宗大本山妙心寺に属し、四〇〇年来の歴史を今に伝えている。当寺の藩主、福島正則が、世に名高い、尾張海国寺五世高厳和尚を迎え、当寺を創建し高厳を開山となし禄高四〇石並びに十人扶持を附していた。当初は、国泰寺の裏通り、現在の日本銀行正門を山門と成し頼山陽居宅跡地が本堂あたりと伺われる。その頃、国泰寺の裏通りを高厳通りと称し、広大なる寺領地を有していたことは、史実に明らかなり。当寺は藩筆頭国家老上田主水重安(上田宗箇流家元)の菩提寺として大いに隆盛をおびていた。現在地の墓所の祖師塔右側に宗箇大居士の遺髪塚があり戒名は(清涼院殿前上大夫竹隠宗箇大居士)で、前列左端には代々の墓が現存している。因に種痘の発見者で御殿医であられた三宅春齢先生の墓も隣接し、浅野藩家臣の相当数が埋葬されていることは、無縁仏をみるだけでも伺えます。当寺の本尊は釈迦如来を安置し、胎内に後醍醐天皇御随身の仏舎利を蔵しています。昭和二十年の原爆により一切の建物を焼失した。現在地に移ったのは藩の命により、西寺町に対し東寺町を造営せんがため、元和以前の寛永、永応及び、元禄旧記や絵図等にも明らかである。
 先の敬宗道和尚で十九世となるが、開山高厳をはじめ、三世の虚 和尚、十七世の敬峰和尚(一枝軒老師)は禅門の最高峰を成し、学僧としても各著書に明らかである。特に三世の虚 和尚はその頃、世に聞こゆる名僧にして、天下三老の一と称せられ、山県郡の円光寺、安芸津の浄福寺、京都妙心寺塔中の通玄院等の開山は、禅林寺三世の虚 和尚によるものである。また、幕府は四代将軍家綱の時、京都黄檗山萬福寺に隠元禅師を支那より招致するにあたり、特に虚 を長崎に差し向かわせ、隠元と相識るや、及ち共に携えて将軍に会いし話は余りにも世に有名である。
【巡拝ガイド】
中央コースの巡路 77龍光院66禅林寺70金龍禅寺
交通便
広電バス 戸坂−仁保沖町線「東保健所」下車、徒歩3分
広島駅−西飛行場線「富士見町」下車、徒歩5分
住所
〒730-0041 広島市中区小町9-14 TEL 082-249-2875
近くの札所
67延命院70金龍禪寺